『ちゃんと滲んでいく、明け方のこと。』が生まれた理由

小説自体はnoteで公開しております。リンク先よりご拝読ください。
🔗ちゃんと滲んでいく、明け方のこと。

本作は、描けなくなった美大生の“わたし”が、
もう一度、自分の感性と静かに向き合おうとする物語です。

私自身、これからどうしたいのか、何が好きなのか。
そんな問いと向き合うなかで思い出したのが、
「考えること自体が、私にとってのよろこびだった」という感覚です。
その考える力を、今回は“物語”というかたちで表現してみることにしました。

この作品に出てくるのは、
描くことが好きだったのに、周囲との比較に苦しむ美大生の主人公と、
絵を仕事にしながらも感情からは距離を置いて生きている一人の男。

ふたりは、名前のないままの曖昧な関係を続けています。
でも、その関係が始まったのも、終わらないまま続いているのも、
すべて“明け方”がきっかけになっているんです。

明け方がもたらす “すれ違い”と“始まり”
彼らが初めて同じ朝を迎えたのは、偶然のような一夜のあとでした。
その朝、主人公は男の部屋を、色鉛筆で描きました。
ただ光が綺麗だったから。
ただ描きたいと思ったから。
その姿を見た男は、誰にも向けたことのない興味を、初めて人に対して抱きます。
家庭環境から人と向き合うことを避けていた彼が、
初めて“誰か”に惹かれた瞬間でもありました。

そして物語の終盤、
描けなくなった主人公は、偶然その絵を再び見つけます。
誰にも見せようとせず、ただ描くことが楽しかったあの朝を思い出し、
もう一度、キャンバスに手を伸ばすのです。
そのときもまた、時間は明け方。
滲んでいた明け方の空が、朝になって少しずつ形を持ち始める。感情と同じように。
明け方は、この物語における「変化の前触れ」であり「新しい始まり」なのです。

作品構造と象徴モチーフ
この物語は、プロローグとエピローグが円環を描くように構成されています。
冒頭:白いキャンバスは“描けない空白”として床に置かれている
終盤:同じキャンバスがイーゼルに立てかけられ、“描き始められた兆し”となる。

また、何度も繰り返し登場するモチーフが象徴的に機能します。
・白いキャンバス=描けなかった時間、自分を見失った空白
・赤い絵の具=情熱、怒り、未整理な感情の痕跡
・光の三原色(RGB)=交わることで“白”になる=未来、希望、交差
・眼鏡=男の“見ようとしない”姿勢、感情のフィルター
・“綺麗”という言葉=彼の逃避であり武器、でも唯一の優しさでもある

登場人物プロフィール
主人公(わたし)
都内の美大に2浪で入学した大学2年生。
基礎的なスキルは高いが天才ではなく、周囲との比較に苦しんでいる。
繊細でクール。だらしなさと混沌を許容できる強さも持つ。
自分の凡庸さや描けないことに葛藤し、絵から距離を置いている。
しかし本当は、向き合い続けた先にしか見えない“力”を秘めている人物。
象徴:真っ白なキャンバス、赤い絵の具、光の三原色


20代後半。美形の絵描き。
家庭環境に恵まれず、人との関係構築が苦手。
“綺麗”という言葉で物事を片づける癖があり、それは現実への諦めと自己防衛。
絵を仕事として成立させているが、自由な表現は既に手放している。
主人公の未完成で感情的な感性に、自分が忘れてしまったものを無意識に重ねている。
象徴:丸眼鏡、絵の具チューブ、“綺麗”という言葉

この物語に込めた思い
この作品は、私自身がかつて経験した葛藤の延長線にあります。
若い頃、付き合う中で感じたもどかしい感情。
同じように世界を捉えることができたとしても、
それを形にできる人とできない人の間にあるどうしても埋められない溝。
表現できる人と、まだ何も持っていなかった自分。
その距離感がずっと苦しかった。

だからこの物語では、主人公だけでも、
あの“始まりの朝”にもう一度立ち返り、
再び描きはじめられるようにしたかった。
それは、いま文章を書いている私自身へのエールでもあります。

もし、描けなくなったことがある人、
感情をうまく言葉にできなかった人、
誰かと心がすれ違ったことがある人がいたら、
この物語が、あなたの中に“もう一度、始めてもいいかもしれない”という気持ちを、

ほんのすこしでも滲ませられたらうれしいです。

投稿者: 夜中散歩

感じたことを、感じたままに。 小説の裏話、映画や音楽の感想、ちょっとした日常のことなど、 その時々で心に残ったものを雑多に書いています。 noteではフィクション(小説)を中心に書いています。 感情がにじむものが好きな方はぜひ、そちらもどうぞ。

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